終の住処を整える:縁あって出会う人、母なる姿に我を見る

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年越しができた安堵感は・・・

昨年から何度となく、母がお世話になっている老人ホームや医療機関から連絡が入る状況になっている。当初は着信のたびに脈拍数が急上昇していたけれど、段々と平均的な回数で対応できるようになってきた。

覚悟ができたからだろう。
縁あって母は私の実母であったけれど、今では私の中心部分に「母なるものが存在している」
たぶん私自身が「母」というミッションをかなり長く遂行してきたからに他ならない。

昨年は、もう年越しはできないのではないかとドキドキしながら過ごしていたけれど、奇跡的に新年を迎えることができた。もう・・・それだけでもよいのではないだろうか・・・

多くの支えがあって・・・

昨夜はホームの看護師の方から「微熱がある」との連絡を受けた。
食欲はあるとのことだったので、深刻な状況ではないけれど全身を燃やして頑張る母の姿が浮かんでくる。

ホームには面会制限もあるため随時、母の様子を伺うことはできないが専門的な介護と看護を受け穏やかに時を刻むことができている母である。とても恵まれた幸運の持ち主のように感じる。

一方、私は普段と変わらない日常で、買い物へ出向き、犬の散歩にも行ける・・・
母の身体に直接触れる機会は激減しているけれど、それでも「ひとりではない」という心強さが常にある。
多くの支えがあって、本当にありがたいことだと思う。

今は旅行や外出は簡単にはできない段階だと思うけれど、お世話になっている老人ホームの近くを車で走らせる日々です。

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