終の住処を整える:あの頃に戻ることよりも、もっと大事なこと

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今なら遅すぎたりはしない

終の住処を整える。
この場所は一体誰の居場所だったのだろう。
ローンで購入した自宅は年々こざっぱりとしていて、2階の子供部屋にあった4台の勉強机も今はかけらもない。この状態ならば大地震が来ても木造住宅が倒壊するリスクを半減できるかもしれない。そう信じたい。

アラ還の私は「断捨離ブーム」の波に乗って様々な種類の私物を整理した。周りからすると少し異様な雰囲気を醸し出していたのかもしれない。今までの一般的な常識であれば手放すことのない「雛人形の段飾りのフレームや家具・飾り」なども思い切って断捨離した。
これで少しは屋根裏が軽くなったのではないだろうか・・・これらは一体誰の所有物だったのだろうか?

私自身の若き日の欲望に近い存在だったのだろう。
豪華で美しく、「大は小を兼ねる」という思想のもとで手に余るものをプレゼントしてもらったものだ。
送り主の一人は十数年前に虹の橋を渡った。
娘のわがままを快く受け入れてくれたことに今も感謝している。
そして・・・

もう一人の送り主は現在、有料老人ホームの一室で多くのスタッフの方々から手厚い介護と看護を受け、ラストスパートのゴールに向かって前進している。
今からでも遅すぎたりはしない。できることはある。

手に余るものを手放して身軽になる心地よさ

若き頃の母親は肥満体質で日常的な衣服を入手するのにいつも苦労するタイプの人物であった。
それが10年ほど前から大病を患い、今では半分ほどの容積になって過ごしている。でもこの省エネタイプの身体を手に入れることによって彼女は、何度も何度も危ない橋の一歩手前で現世に戻ってくることができた。

断捨離の本質はここにあるのかもしれない。
本当に大事なもの、必要な人に囲まれ、かけがえのないたった一つの時空の中で過ごす・・・
手に余るものをすべて手放したとしても、コトの真髄を見失うことはない。
できれば足腰が元気なうちに凝縮して「終の住処を整えてしまいたい」・・・わたし。

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