もしも 仕事を失ったら・・・という発想
やってみたいけど、できなかったこと
職務上、子どもたちと共に過ごす時間が多い私だけれど、30年ほど前の子育てとは違う困難に何度か出会う。
乳幼児の言葉の育ちがスローすぎる。
言語理解ができているのかどうか?
人対人の生々しい言葉のリレーができていない?
まるで、1車線しかない道路を走っているようだ。
なんかおかしい・・・今の時代ならではの困難がありそうだ。
保健師や心理士として言葉を扱う職務は経験していても、具体的にどう働きかけたら良いのかわからない。
言語聴覚士の方からアドバイスを受ける必要性もありそうな・・・
最近は日本語指導が必要な、外国籍・日本国籍の人によく出会う。誰でも社会生活を送る上で言葉は必須のものだと思うけれど、小さな頃から生の声や言葉に触れるチャンスが少なくなってしまったようにも感じる。
何かが不足しているけれど、それが何かわからない。
そんなこんなで、「?????」と対峙している中で出会ったのが「日本語教員」のお仕事。
アラ還の私にとっては、認知症予防にもなりそうな大量の知識獲得が必須ではあるけれど、日本語の構造や音声についても学べそうで、迷わず日本語教師の養成講座を受けることにした。
2倍速のeラーニングが程よい
仕事と家事を両立しながらのリスキリングは、睡眠時間を削らない限り時間に余裕のない状況です。
私は午後8時以降は睡魔との戦いに参じているので、休みの日や出勤前の隙間をぬって倍速の映像を視聴し新しい学問領域にのめり込んでいました。
わからないから、面白いということがあります。
今までの私では太刀打ちできない、新規場面が多くて脳内のネットワークが躍動している実感があります。
リモートの授業では顔出し・声出しのグループワークなどもあって恥をかきまくっています。
PCの操作の間違いや、ネットワーク不良によるトラブルもあったりして、サバイバルな経験を繰り返しています。
各科目の修了試験も単位取得には欠かせない条件で、年内は3科目を受験しました。
保健師や公認心理師の国家試験の時よりも真面目に事前勉強して受けています。
CBTはコンピュータで受験するテストなので、カメラで監視された状況で受けます。
本物の受験会場にいるよりも緊張している感があります。
これからどうするの?
講座を受講させていただいている機関からは、就職活動に対する手厚いサポートがあります。
でも現職とのバランスを考慮しなくてはなりません。
保育現場には若手の看護師の方に着任してほしいけれど、保育園の子どもたちが可愛いすぎて離れ難いというのが正直な気持ちでもあります。
身体が元気なうちに、認知的なやり取りがスムーズに行えるうちに、新たなるアイデンティティの探求が許される環境があるうちに・・・のらりくらりしながら勉強に励みたいと思っています。
一度は断捨離した各領域の書籍が、新たなる専門書に置き換わり、紙ベースの資料も全く違う内容でファイリングされ続けています。ここ数年、物理的にも心理的にも、ワーキングメモリー的にも空きスペースを用意していたことが今、生かされ再構築されつつあります。
今やっている勉強は初学者という立場ではあるけれど、本当に懐かしい感覚に陥ることがあります。
不思議・・・。
これからいろんな文化的な背景を持つ人たちと出会うことになるだろう。
それでも懐かしい。
子どもの頃に万博があって、そこで感じた何かが今、蘇ってきているのかも知れない。

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