サルトルはどんな人? 〜哲学大図鑑(ウィル・バッキンガムほか 著)より〜
ジャン=ポール・サルトル(1905〜1980年)は、パリで生まれ父親が亡くなった時は、まだ15ヶ月だったといいます。彼は母親と祖母に育てられ、後に優秀な才能を発揮して、一流の高等師範学校に合格しました。
サルトルは師範学校で生涯を共にする同伴者として、後継者でもあるシモーヌ・ボーヴォワールと出会います。卒業後は教師として働き、1931年にはル・アーブルの高等中学校の哲学教師になっています。第二次世界大戦中は軍隊に招集され短期間、捕虜になってこともありました。また解放後はレジスタンス運動にも合流していたといいます。
サルトルの言葉:実存は本質に先立つ
なによりもまず、人間は実存し、不意に出現し、舞台にあらわれ、そのあとになってようやく自分を定義する。
人間が進んでゆく限り、私の関心を惹くのは、あるがままの人びとの姿ではなく、彼らがなにになるうるのかという点だ。
神はいない。
私たちは神につくられたのではない。
私たちはなんらかの目的のためにつくられたわけではない。
だから、私たちの実存は私たちの本質に先立つ。
私たちは自分自身のための目的をみずから創造しなければならない。
サルトルの錆び取り:自分自身のための目的をみずから創造し磨かなければならない
鉄を打て、錆をとれ。
ワタシたちの日常は、こんな痛々しい作業の繰り返しに過ぎない。
サルトルは「神はいない」という。
何かある時には、とても偉大に感じられるものも、存在そのものに実感が伴わない。
こんな無宗教的な感じで大丈夫なのだろうかと時々、gomagoma は不安を感じる。
アナタとワタシ、そしてミナさんも全ては気がついたら実存し、不意に出現し、舞台にあらわれた。
なので大人になっても「自分」を定義することはなかなか難しい。
あまりにも難解なことばかりを考えていると病んでくる。
生活に錆が大量発生して処理に困る。
この脳内に執着した錆を取る最も有効な方法はないものか。
鉄の重さ、鉄の硬さ、鉄の熱さ、鉄の・・・・
gomagoma は今まで全身が熱せられ、酸化してしまうほどの情熱を注いだことはあったのか?
まだない。
これからもないのかもしれないけど、「人間はなんらかの目的のためにつくられたわけではない」と仮定する。
少し気が楽になりそうだ。
気がついたら実存していた小さなワタシの行く末をこれからも見守ってほしい。
誰が見守るのか。
それはワタシ自身であることがようやく確認された。
サルトルの錆び取りがアナタとワタシの未来に磨きをかけ、小さな家の輝きを保証してくれるだろう。
「私たちは自分自身のための目的をみずから創造しなければならない」のだから。
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