ラッセルはどんな人? 〜哲学大図鑑(ウィル・バッキンガムほか 著)より〜
バートランド・ラッセル(1872〜1970年)は、イギリスの哲学者で、並外れた勤勉家だったといいます。彼の論文「怠惰への賛歌」は最初1932年に出版されましたが、時は1929年のウォール街での大暴落に続く大恐慌の真っ只中でした。当時の混乱は、それ自体が労働に対する一連の根深い誤った態度の帰結だったと彼は言います。
実際にラッセルが主張するのは、労働に関する私たちの観念の多くが迷信と大差ないものであって、厳格な思考によって追い払われるべきものだということでした。
ラッセルの言葉
幸福へいたる道は、労働の組織的な減少のうちにある。
労働が本来どれほどの価値に値するのかをきちんと認識し、それ以上に働くべきではない。
ラッセルの欄間(らんま):組織の中に埋没して、自分の存在と自信を失う恐怖との戦い
働きたい。でも働きたくない。
こんな複雑な思いを持って生活しているのはワタシだけでしょうか?
定職を得ること。
それは安定した収入をガッチリ確保し、やりがいを感じることへの第一歩か?
「労働」と呼ばれるものには何が期待できる?
アナタもワタシも、ミナさんも「自分の力を試してみたい、生かしてみたい!」と考えているように思います。
一生懸命に働いた成果(=評価・対価・収入 等)は必ず手に入れたい。
けれど手にあまる労働量、無茶振りともいえる仕事内容・・・
組織の中に埋没して、自分の存在と自信を失う恐怖との戦い・・・
「あんまり良いことなさそう」と感じてしまうのです。
gomagoma も働いてみたい。働いてみたこともある。
それでも、これぞと思える何かがいまだに無い。
ラッセルの欄間が小さな家の玄関にあれば
通過すべき厳選されたミッションを見つけられそう。
それは社会人としての生き方かも知れないし、家庭人としてのあり方かも知れないし・・・
労働が本来どれほどの価値にあたいするものなのか、まだきちんと認識していません。
そんな思いで、これ以上に働くべきではないのでしょうか? ラッセル様。
生きがいや、やりがいを追い求めすぎることによって両足がすくんでしまう今日この頃。
アレコレ・・・
やっていくうちに働くリズムが身体に浸透して楽しくなってくることを期待したい。
今はニンゲンの仕事の変化が日々感じられる過渡期。
「A I 」には負けないものを gomagoma も保持していると信じたい。
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