オルカはどんな人? 〜哲学大図鑑(ウィル・バッキンガムほか 著)より〜
ヘンリー・オデラ・オルカ(1944〜1995年)は、ケニアに生まれ、民俗誌学の手法で、メタ哲学について関心を寄せ活動していました。
著書「賢者の哲学(1994年)」においては、サハラ以南のアフリカ哲学がしばしば見落とされてきたのはなぜかを問題視し検討してきました。それは一般の哲学者がテクストをもとに作業するのに対して、アフリカでは口頭伝承が主流である点ではないかという結論を出しています。オルカ自身は「哲学的叡智」をこの口頭伝承の中にあると考え、日常生活を営む人々を観察し、彼らの思想や行動を文脈の中で記録するという文化人類学のアプローチを借用し考察していったということです。
彼は神や自由といった伝統的な哲学の主題に関する自らの観念を批判的に吟味して、その合理的な基盤を見出した賢者たちは、哲学的賢者とみなされて然るべきだと考えました。
オルカのお風呂:「走りすぎてはいけないよ、何もかもが万能ではないのだからね」
言葉になってもれ出す言霊、あふれだし流れくる瑞々しさ・・・
オルカのお風呂には、言語の雫が粒子となって輝く。
どこまでも続く水平線・・・動物たちと暮らす。
そこではアナタもワタシも小さな一つの生き物でしかない。
「人間だから!」と高揚し、叫んでみても何も通用しない。
ヒトからヒトへと伝えられるものには有益なものとそうでないものが共存する。
gomagoma の日常では書籍や新聞、パソコン、携帯電話・・・何もかもがテクスト化してあふれている。
文字、文字、挿し絵、写真、動画・・・どれも記録しやすいものばかり。
口伝えで奏でる子守唄や童歌、紙芝居や言い伝えは今、どこにいったのか。
森の中で入るお風呂の開放感。
森の中で何が起こるかわからない恐怖感と期待感。
よどみなく、止まることを知らない水の噴射。
そんな受け皿としての浴槽が今、必要なんだ。
言葉がヒトを助け、言葉がミンナを傷つける。
ずっと過去からの亡霊のような事柄さえも、文字にしてしまうと残酷すぎる。
世代を超えて、森のお風呂に浸かってみないかい?
古ぼけた浴槽から伝承的な物語が聴こえてきそうだ。
「走りすぎてはいけないよ、何もかもが万能ではないのだからね」
思わぬ現代的な言葉の矢が刺さった時、小さな家の小さな庭にあるといいね。
ワタシが暖かいお湯をたんまりと注いであげるから・・・
だからたぶん、大丈夫。
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