モンテーニュはどんな人? 〜哲学大図鑑(ウィル・バッキンガムほか 著)より〜
ミシェル・ド・モンテーニュ(1533〜1592年)は、ボルドー近くの裕福な家庭に生まれました。しかし3歳までは貧しい農家に送られ、そこで成長したといいます。そのため彼は労働者の生活に慣れ親しんでいたということです。教育については6歳まではラテン語しか話すことが許されなかったため、フランス語については第二言語だったと考えられます。
モンテーニュは地元の高等裁判所に勤務していた経緯がありますが、13年間で辞し、後に腎臓結石の治療のためにヨーロッパを旅行していました。1581年にはボルドー市長に選任されましたが、1585年には辞職しています。
モンテーニュの言葉
平静さは、他人の意見にとらわれないことで可能となる。
栄誉を求めるなら、他人の評価にとらわれないではいられない。
名声と平静さが並びたつことはありえない。
伝染は民衆に潜む危険だ。
悪意をもった人びとにならうか彼らを憎むよりほかない。
モンテーニュの物置:名声と平静さが並びたつことはある? ありえない?
収納上手なアナタとワタシ
今、何が一番大切ですか?
えっ、どこにしまってあるのかわからない?
それは大変なことです。勿体無い。
まるで無くしてしまったようなお宝の数々・・・。
「何も失ってなんかいない!」
ひょうひょうと平静さを装って、他人の意見に耳はかさない。
とらわれない、とらわれない、大丈夫・・・そう嘘ぶく。
「誰かからの栄誉を求めるのなら、他人の評価にとらわれないではいられない」
しんどい生き方です。
そんな栄誉なら自ら放棄しておきたいもの・・・
豊かさと貧しさ、両方を知るモンテーニュの物置には何か保管されているのでしょうか。
栄光の後の落胆、偶然の中の必然、失望のど真ん中にある不可視光線
いずれ光が見えるようになればいいのに・・・
どれも直視することが難しいけれど
視野欠損した箇所の発見と治療が回復への道筋となる。
失ってはいない。
誰かに贈与したわけでもない。
言葉にできない。
もどかしい。
モノ、コト。
悪意のない強制、善意のない親切
ココロここにあらず。
gomagoma も大切なものは永く残しておきたい。
モンテーニュの物置が小さな菜園の横にあればな〜
おごりすぎず、厳選して、本物の存在を直視しながらやっていけるのに。
ミンナの意見が脅威に感じて、飲み込まれそうになる時も
視野の中心になる光を見失わず!
名声と平静さが並びたつことはある? ありえない?
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