ベルクソンはどんな人? 〜哲学大図鑑(ウィル・バッキンガムほか 著)より〜
アンリ・ベルクソン(1859〜1941年)は当時もっとも影響力をもったフランスの哲学者で、イギリス人の母とポーランド人の父との間に生まれました。若い頃の彼は、得意科目である数学に大きな関心を持っていましたが、職業としては哲学を選択し、最初は高校で教えていたといいます。
1896年には「物質と記憶」が刊行されたのを機に、コレージュ・ド・フランス教授に選任され、大学で教えるようになりました。また政治家としても功績を残し、1920年の国際連盟設立に際してはフランス政府の代表として活躍したといいます。著作に関してはウイリアム・ジェイムズなど多くの哲学者や心理学者に影響を与え、1927年にはノーベル文学賞を受賞しています。
ベルクソンの言葉
知には二つの種類がある。
相対的な知は、特定の観点から世界内の対象を知る。
絶対的な知は、世界内の対象を、それらが現にあるがままに知る。
知性と理性を働かせることで、私たちは事物そのものからは距離をとっている。
真理の直観的な把握によって得られるもの、それこそが知の直接的形式だ。
直観はまさに生の方向にそって進む。
ベルクソンの、ヘら:優しい手で持ち、離さず、起こりうる困難と共に対峙していく
あまたある事物の中から、何を選択し、どう扱うのか?
ここは、直観的な把握によって得られるものにすがりたい。
「ワタシの選択にくるいはない・・・」と信じたい。
gomagoma の知性と理性は今、どうなっているのだろうか。
小さな家は完成した。この場所、この時期に、この家屋の建築を進めたことに後悔はない。
だけど、この直観を一気に稼働させることで、何か大切な事物そのものから距離をとっている可能性はある。
形造る、料理する、建築する、学習する、働く・・・すべての行為を実行に移すとき
「ベルクソンのヘラ」があれば、それなりの成形が実現できそうな気がする。
あまたある「ヘら」の中からまずは1本を選ぶ。直感で。
真理の直観的な把握によって得られる「へら」は、それこそが知の直接的な造形のアイテムであり、その直観はまさに生の方向にそって進む・・・か。
アナタもワタシも疲労困憊している時は、思考が鈍化し手先の動きが緩慢になる。
「ここで間違った選択をしてしまいそうだ」と不安でいっぱいになる。
けれど、gomagoma のタマシイらしき真理が、わずかでも滞在する余地が残されているならば大丈夫。
相対的な知が、小さな家の観点から世界内の対象を知ることができます。
そして、絶対的な知が、世界内の対象を、今の現状をあるがままに知る助けとなります。
何があっても「ベルクソンのへら」を優しい手で持ち、離さず、起こりうる困難と共に対峙していく。
今、ワタシたちの直観がまさに生の方向へと進んでいる!
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