レヴィナスはどんな人? 〜哲学大図鑑(ウィル・バッキンガムほか 著)より〜
エマニュエル・レヴィナス(1906〜1995年)は、ホロコーストを生き延びたユダヤ系リトアニア人です。「全体性と無限(1961年)」の中では、理性は言語に住まうと書かれています。彼はフッサールなど多くの教師のもとで哲学を学び、ハイデガーを研究しました。戦後のフランスにおいて現象学と実存主義の基礎を築き、サルトルやデリダなどに多くの影響を与えたと考えられています。
レヴィナスの言葉
理性は私たちが他者とのあいだに取り結ぶ対面の関係から生じる。
私たちの暮らしのなかで、他者との出会いほどに私たちの意識をかき乱すものはない。
他者とは、ただそこにいるだけで、私たちに呼びかけ、私たち自身について釈明を迫ってくる存在だ。
人間とは何か。それは一個の存在者であるためには一つでありつつ二つであるということである。より端的に言えば、意識を持つこと、自由であることである。
レヴィナスは人は何のために生きるのかを徹底的に考え抜いた哲学者だといえます。レヴィナスは自殺を否定し、また人間が老化して死ぬということが他者のためであるとし、共同して生きることは幸せなことだと論じました。
レヴィナスのれんげ:あふれくる失念や希望さえもキャッチできるはずだ
ワタシたち人間とは何か?
それはこの世に存在するものとして、一つでありつつ、二つであるということ。
アナタとワタシは二人であり、一人です。
そこには意識を持った自由が必要なのでしょう。
今、この瞬間に不可避のコミュニケーションの中から大事なものをすくいあげろ!
取りこぼしなく、取りこぼすことも困難な重要なものを・・・
ここにレヴィナスのれんげがあれば、あふれくる失念や希望さえもキャッチできるはずだ。
数ある「れんげ」の中から、どのような形状・サイズのものを選択するか
それは自由だという。
gomagoma の暮らしのなかで、ミナさんとの出会いは刺激的であり楽しくもあります。
でも、いろんな意識をかき乱すものでもあります。
ふと「一人が気楽だな〜」と感じるのです。
着実に進行する科学の背景に、年老いたワタシの姿が浮かび上がってくる。
いつまでも青年ではいられない。
焦っても仕方ないけど、確実に老化は進み退化するものもある。
肉体が衰え、死を意識した時、冴わたる言語に幸福が舞い降りる。
誰かのために共同して生きることが、ささやかな「生」の証明であり
ワタシ自身の存在を明らかにするものらしい・・・
ミンナの理性は言語に宿るらしい、です。
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