子どもと親のこころを支える(5):生半可な気持ちで子育てなんかできない

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赤ん坊が動揺していたら・・・

乳幼児が何かあって動揺していたら、養育者はしばしばその子と同じような声を出すことで共感的理解を示そうとします。この行為を「マーキング」(Gergely & Watson,1999)と名づけています。

マーキングは、怒りや悲しみといった情緒に圧倒されてしまうことなんてないということを伝えるもので、精神分析家のビオン(Bion,1977)が情緒の「コンテインメント」と呼びました。

不快な気持ちを理解されたら人はどうなる?

大人は赤ん坊の苦しみや不安を、そのまま反射して返していただけなのかも知れませんが、自分の気持ちを他者によって理解され、扱ってもらえたということで、その不快な感情や恐怖が軽減されるといいます。人生早期の乳幼児にとってコンテインされるという経験は、自己理解の発達を促進させる重要なものだと考えられています。

大人になっても「理解してもらいたい!」

乳幼児を育てる親にとって、子どもと過ごす時間は良くも悪くも濃厚な体験となります。時には楽しく、でも大概は子どもからのサイン(=大泣きとか)の意味がわからず葛藤的な情緒を揺さぶるものでもあります。
「誰か、この子の相手をしてほしい。私一人で子育てするのは大変すぎる。辛い、早く解放してほしい・・・」などなど、密室での親子のやり取りで楽しいことの比重はそう多くはありません。

世間の人々はいまだに「母性」の存在を信じ、母親は本能的に子育てできるものだと考えておられます。
「そんなに甘くはないぞ!」ということを知っている人は、実際に子育ての大変な部分を経験し、今に至る方なのではないでしょうか。私も保健師としての知識はあっても簡単にはいかない毎日の子育てに疲労困憊していた時期があります。そんな時に限ってパートナーや世代が違う人から「出来て当たり前」というメッセージが届きます。こんな辛いことはありませんよね。

子どもを育てる上で重要なことは「親」の情緒を含めた「コンテインメント」だと思います。
上手くいかないこと、子どもの存在がプレッシャーになっていること、自分の時間が制限され心身ともに疲労困憊していること、子どもの側から離れたいと感じることがあること・・・などネガティブな部分も含めて受け止めてほしいと思うのです。

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現役の子育て時代を振り返ってみると、「育児や家事、そんなの出来て当たり前」という声が時々、届いていたことを今でも辛く思い出されます。
「ならやってみてください」という感じで、子どもに危険が生じない程度に子育ての一部を短時間、やってもらうような場面もありました。そうなるとダイレクトに大変さが伝わるようでしたが、余計に不機嫌になりすぎてしまう大人もいるので加減が難しいと思います。

文 献

グレイアム・ミュージック「子どものこころの発達を支えるもの -アタッチメントと神経科学、そして精神分析の出会うところ」2016 誠信書房.

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第1章 序論:群盲象を評す
第2章 命の始まり:受精から誕生まで
第3章 関係性の中に生まれてくる
第4章 共感、自己、そして他者のこころ
第5章 アタッチメント
第6章 生物学と脳
第7章 言語、言葉、そして象徴
第8章 記憶:自分が何者で、何を期待するのかについて学ぶ
第9章 遊び:楽しみ、象徴化、練習、そしてふざけること
第10章 大人に向かって
第11章 トラウマ、ネグレクト、そしてその影響
第12章 遺伝子、素質と養育
第13章 本書のまとめ:早期の体験とその長期的な結末

アリシア・F・リーバーマン、パトリシア・ヴァン・ホーン「子どもー親心理療法 トラウマを受けた早期愛着関係の修復」2014 福村出版.

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