屋根工事のあとは・・・ちょっと違う雨のしらべ
例年と比較して今年の梅雨はかなり遅め。
大ぶりの雨は滝のように天から落下することもあるけれど、2階の天井には打ち付ける雨音が響かない。
今まではノンアスベストのスレート屋根で、鉄板に雨粒が打ち付ける音がそれなりに聞こえていた。なのに今夏の屋根は静かすぎる。新規に設置してもらった屋根材は重量がスレートと同じだけれど、容積・厚みが何倍もある高機能なものなので多少の衝撃やストレスにはびくともしない。
世の中には、新規導入を怖がらず、「良いものは良い」と素直に認めるべき場面が数多あることを再確認する。
今、家を守ってくれている新しい瓦は、20年前にはなかったもので軽くて頑丈なものになっている。
あくなき研究を根気よく続けてくださった技術者や職人の皆さんに心より感謝したい。
どうも、ありがとう・・・
老後のことを考えすぎて・・・
正直に申すならば、アラ還の私はまだ60を超えていない。
世の中的にはまだまだ若いという印象を持つような年齢層だ。
今年に入って実母を亡くした。そして23年後の私は・・・どうなってる?
つまり母が亡くなった年齢の自分を想像しすぎて先々のことまで心配を重ねすぎてしまった感がある。
「歳を取ったら植栽の手入れができなくなるから雑草が生える部分は石材で蓋をしよう」
「直に植えた木は抜根が困難なほどに成長が著しい。今ならあきらめられる」
「家のメンテナンスは年金生活になってからだと出費が怖くて実行できない」
「足腰が動くうちに不要なものを断捨離して、車椅子でも走行できるスペースを確保しよう」
「玄関前には後々、簡易スロープが設置できるように準備しておこう」
「認知的機能が低下する前に、エンディングノートに必要事項を記入しておこう」
「これといった持病がなく食事制限がないうちに、好きなものを食べておこう」
「老化が進行した時や重篤な病気が発症した時に予備エネルギーとなる脂肪を蓄えておこう(=痩せない)」
どれもこれも本当になすべきことなのか、疑問符がついてしまいそうなことだけれど当の本人(=私)は真剣そのもので、あらゆる方向性で自分勝手な思考を巡らせ、実行してきました。
「今できるうちに・・・」ちょっと強迫症状的になっていたのかもしれない。
これは、母を失ってしまった後遺症的な心の現れだったのだろう。
今の私は現実的な世界に目を向ける必要があるらしい
今年になってから腰椎すべり症で、今までにない痛みに襲われ不自由な時間を過ごしてきました。
でも今は嘘のように痛みはなく、また調子にのってアプローチの配管や土の部分をいじったり、重めの植木を移動させたりして良い汗をかいています。
猛暑に向けて事前に汗腺を開く作業は梅雨前に完了しているので、後は無理せず水分摂取を小まめに行い、クーラーがついたリビングで愛犬と時間を過ごせたら幸せです。
終活を一旦これくらいでコンマを打って、元気なうちはもう少し働いてみたい。
思い半ばで退職した後悔もないこともない。
勉強したいこともまだまだ、あるような気がする。
車の運転のような免許返納システムはないので、心理や保健の資格をどこかで活かせないものか?
持病の腰痛については姿勢の取り方や、眠り方、所作の工夫で何とか問題なく過ごせそうな予感がする。
過酷な断捨離で生き残った書籍も読み返すと、面白そうなものばかり。
「あきらめきれない仕事への未練があるのかも知れない」
ご縁があって何処かに再就職できると本当に嬉しい。
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