エッセイ:控えめな春の訪れ「桜の枝が細部まで確認できるとき」

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ファミレスでモーニング・・・そのあと

目玉焼きが2つ食べられるモーニングを注文する。
少し早いが昼食を兼ねて、スープとパンもいただくことにする。
ランチということであれば、かなり安価な楽しみ方である。

せっかく来たのだから、もう少し車を走らせて河川敷にある国道を滑らせる。
所々、黄色い点描画のような塊がある。これはミモザではなく春の訪れを知らせる「菜の花」だろう。

もっと自信を持って咲いたらいいのに、花弁の開きが小さすぎる。
控えめな空にはまだ、雪を降らせそうな灰色の雲が見え隠れするからか?

「やっぱ、まだ?」と消極的な態度で過ごしているのも少し理解できる。

右手がダルい、左上の奥歯が消失している!

母がまだ、旅路の途中ということで私は右手を使って書類記入を続けている。
私が書いている時間そのものは、たいしたこともなく軽微な作業と言って良いだろう。なのに右の上腕が伸ばすとダルい痛みを発症させる。

無理をしているのだろうな〜

親をすっかり失って歯の詰め物まで失ってしまった。
昨年から今年にかけて、食いしばる場面が多すぎたのかも知れない。
センチメンタルに、しみじみと失った状態を堪能することもなく、現実的な日々だけが経過していく。

春も近づき、おおむね母に関連した手続きは目処が立ったと考えていた。
すると、おもむろに私の携帯電話が鳴り響く。

母がお世話になっていた薬局からの連絡であった。
そして最期の支払いは私が口座に振り込むという形でよいと確認ができた。

そうだまだ
有料老人ホームと在宅でお世話になっていた医療機関からの請求書待ちの案件が残されていた。
さすがにこの作業は今の母にはできない、ということ・・・だ。

夜になると父と母が・・・

昼間の目まぐるしい現世での生活とは裏腹に、夢の中では父と母の居る世界へと舞い落ちる。
自分なりに夢を分析してみると、ぜんぜん葛藤的な内容ではなく「若き日の両親が少しずつ私自身に取り込まれているという感じ」である。

アルバム整理をやりすぎたせいか、断捨離してしまった1枚1枚が私の内部にインプットされてくる。
とてもお幸せな二人だった光景は、決して悪しき亡霊とは違う。

もう、こうなったら事務的な処理と共に、夢の世界で空白になってしまった時間を家族ぐるみで、はめ込み、張り合わせ過ごそう。

熟睡よりも、安眠よりも、この限られたボーダーラインの旅行へ共に出かけよう。

娘でいられる時間にはタイムリミットがある。
だから、桜咲く四十九日までは同世代になった両親と共に旅に出ることとする。

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