アウトプットが間に合わない
だいたい週4日は、看護師・保健師・心理師、時として保育士のお仕事をしています。今でも日々の業務でわからないことは沢山あって、できるだけ早期に文献やネットを通して学習をしています。
これは認知的機能を維持するための取り組みとしては得策と言えますが、酷暑の中で複数の職種の役割を果たすパワーがやや減退気味です。これで良いのかな〜と時々考え込んでしまいます。
現在は多職種連携のあり方を自身の脳内で行うことの意義と負担感があり、それは紙一重の綱渡りとでも申しましょうか・・・「この職種なら別方法のアプローチを有効とするか?」など無言で思考する時間があります。出来れば週に何回かは、アウトプットを試みるべきでしょうが、小さな子どもたちに安全に過ごしてもらうための思考と行動は、心身の疲労感を感じて当たり前です。午後8時をすぎると睡魔が襲ってきます。
普段の私は笑っていることが多いけれど、かなりビビリな体質を持ち合わせています。
勤務先で怪我や事故がないように・・・
専門職としての倫理違反をしてしまわないように・・・
チームワークを保ちながら他職種と協働できるように・・・
心配しすぎかもしれませんが、民間レベルの危機管理的視点がすっかり身についてしまっていて「これで大丈夫なのかな?」と自問自答してしまいます。もしも大きなトラブルがあった時には、「免許剥奪」の文字が浮かんできます。それは看護学生時代の臨床感覚に近いもので、常に自己モニタリングする必要性を感じます。
真面目すぎるのかもしれません
ここ数年は本を読みすぎていたきらいがあります。理論と実践の狭間で葛藤している姿は、まるで20代のルーキーの姿です。心理的な立ち位置は若返りしているということにいたしましょう。
家ではマイペースな断捨離を継続しています。
親族が所有しているものも管理しやすいように整理して、その度に使わなくなった私物とお別れをしています。以前と比較してモノが少なくなっている今、掃除がとても楽になりました。
モノやコトを選択する時、後々誰が片づけてくれるのか? とイメージしながらチョイスをしています。できるだけ個人レベルの物品は少なめにコンパクトに過ごしています。今まで「何事も予防が大事」と職業訓練を受けてきた者の性(saga)だと思いますが、久々に出席した同窓会でも「昔から真面目なイメージだった」と言われました。
もっと気楽な生き方もあるのにね。
物事が動く時、必ず家の空気が変化します
予想外の新しいステージが待っている時、無意識に家の中の家具や植物、絵画、小物などを動かしています。これはじっとしている事が苦手な性分だからかもしれませんが、空気を動かす自己セラピーのようなものになっています。
手間がかかりしんどいけれど、これが自己のありようを見つめる箱庭療法のようなものです。「もうこれでいい!」と一旦はピリオドを打ったつもりでも、必ず動き出す必要性に駆られます。動くことは私にとって生きることなのでしょうね。
今こそ、分散したライフスタイルや職業的なアイデンティティをまとめたい。それは周辺の環境や他者を動かすことではなく、私自身が全身を使って取りまとめる大事業のようなもの。私の心の宇宙としては大きなことかもしれないけれど、たぶん世間一般的には小さな出来事の集まりにしか見えないような予感がする。
来週の自分は、また少し違う自分であるような・・・
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