春はやってこない気がする
母がこの世を去ってから約1ヶ月が過ぎようとしている。
すでに現段階で、母と暮らした生活の記憶が薄れてきている。
私の人生のスパーンでいうと、実家で暮らした年月よりも新しい家族と形成した日々の方が明らかに長くなってきているからか・・・
曇天の日が続く、粉雪も舞い散る。
3月だというのに太陽が直球でやってくる時間があまりにも少なすぎる。
亡くなってからの事務処理的な事柄がまだ、少し残ってはいるものの、時間が流れるとともに衝撃的な出来事の痛みが徐々に緩和してくるようである。
それでも、春はまだ遠いような気分になる。
「これからどうする!?」というものをブラッシュアップ
私は実母よりもかなり前倒しで、自分自身の遺品になりそうなものを整理している。
この頃ではアイテムの少なさのおかげで、必要なものを探し出すスピードが爆発的に早くなっている。
ということで、視覚的に家中の物品管理が容易な状況となって、もっと絞り込みができるのではないかと次なる欲望が湧いてくる。
「これからどうする?」「これは使わないな〜」というものを絞り出そうとするけれど、家中を棚卸してしまった後では、不用品を見つけることの方が難しくなっている。
仕方ないので、精神医学などの専門書でラインマーカーがついていない数冊を手放すことにする。
今なら客観的な判断ができそうだ
母の老後を振り返ると、モノを増やし引き寄せるような方向性で生きていたように思う。
おそらく、配偶者を失った空白部分を穴埋めしようともがいた結果だと思うけれど、足腰が弱った状況では室内の物品が邪魔になって危険だったのではないだろうか・・・
空っぽになったスペースは物質的なアイテムだけでは埋めることはできない。
むしろ、きらりと光るかけがえのない、人とコトとモノによる緩衝材が必要になってくる。
今のうちに、元気なうちに、認知的な機能が私らしく発揮できるうちに、身を整えておきたい。
それでも最近ではちょっとネタ切れ感があるので、浴室の掃除などして十年くらい使いたおしている蓋を新調することにした。
わずか数千円で購入できるお風呂の蓋だけれど、心身を温め、お湯の冷めを最小限にしてくれる重要なものだ。少し肌寒い毎日を過ごす私には、これこそ必須アイテムということになる。
きっとこの蓋は、溢れくる感情をうまくコントロールする助けになるだろう。
そんな気がする。
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