エッセイ:遺品整理をさらに、さらにシンプルにする事こそが有益な遺産相続である?

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これから残すべきものとは?

母は3月末ごろまでは、あの世とこの世を彷徨っているという位置付けらしい。
鈍感な私は、自宅でボーダーラインの気配を感じることなく、亡き父とタッグを組んで様々な片付けをしている。若かりし頃の父・母の写真は、とても綺麗にタイトル付けされた状態で保管されていた。紙類は経年劣化しているものの当時のエネルギーがダイレクトに伝わってくる。

同時に写真好きだった父の几帳面さが今頃になって、ようやく理解できるようになってきた。インデックスを貼って分類分けするのが大好きな私の性質は、おそらく父から遺伝的に伝達されたものだったのだろう。

アルバムを思い切って縮小させる。
今の時代であれば、全てをデータ化させてしまう方法もあるけれど、そのデータは後々、誰が引き継いでいくのだろう? この際、私の代でオーディションにかけて、とびきり良い感じのものを選び抜いて、選び抜いて残すことにする。

思い出の品ほど、断捨離が難しい

二度と手に入らないものだと思うと、アルバムの整理はハードルが高くなってしまう。
けれど写真などなくても、染み渡る思い出なんかは簡単に消えたりしないものと自覚する。

何度も収納すべき整理ファイルをセレクトして、3回目にしてようやく収まる場所を見つけることができた。分量で言ったら10〜15%くらいになったと思う。これならば、私の子どもたちが見ても楽しく回想・再発見することができるだろう。

この頃の私は断捨離を決行して、随分と片付いた環境に身を置いていると思っていたけれど、写真の枚数が一向に減っていかない。これでは残された次世代に心理的負荷を与えてしまう可能性がある。

時期をみて、私自身をオーディションにかけておくことが必要ではないかと痛感する。
今書き始めているエンディングノートの進み具合を確認しながら、勢いついた頃に「私のベストアルバム」をまとめておくのも良いだろう。

身体機能の低下も怖くないぞっ、という環境づくり

二日に一度は簡単なストレッチ・筋トレを継続しているけれど、今後は抱え切れるモノとコトが少なくなっていくだろう。やはり必要なものを大切に手入れし残すと同時に、厳選した必需品をピックアップして環境整備することは必要だと思う。

母の世代では、着物や装飾品を収集し、生活に彩りを演出してきた女性は随分多いと思うけれど、次世代が扱うには保管や管理が難しいものが含まれる。また売却しても二束三文で当事者が認識している価値の5〜10%未満という感じだ。

本当にお気に入りのもの以外は、新規購入したりせず、既存のもので使用予定のないものは「手放す」ことも必要だと実感する。

どうせあの世に持っていくことができないのであれば、生きている間に愛着もって身につけてボロボロになってから手放すくらいの覚悟が必要だろう。でも私にはそんな覚悟はないので、できるだけ形あるものは自己保有しない方針で生きていきたいと思う。

高度経済成長期にピークを迎えていた身近な世代を見送った。
彼らには世の流れと共に、物に溢れた生活へのプレッシャーが常にあったと感じられる。母のようにあの世と、この世を行き来する橋の上で、大事にしていた貴金属がなくなってしまうというミステリーも発生している。

やっぱり、「わかりやすいシンプルライフ」への憧れはさらに、さらに、募るばかりです。

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