エッセイ:YouTubeの見過ぎかも知れない「今が最高の充電期間」

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安価な娯楽としてのYouTube

朝から段取りよく家事を済ませてしまうと、やるべきことがなくなってしまう。
そんな時は、新調した4KテレビのスイッチをONにするのだけれど、観たいな〜というTV番組がないと、すぐさまネットに繋げてしまう。

どんどん紹介されてくる「おすすめ」は、犬猫・年金・片付け・腰痛対策・お笑い芸人のチャンネルばかりになっている。
画面のホームを一見すると、「その人となり」が垣間見えて大変恥ずかしい。

我が家の画面は、趣味と生活関連の切実な方向性が理解できるテーマばかりで、混在した人物像が確認される。
最近では自分自身のために数万円するような買い物をしていない。
今、何が好きなのかもわからなくなっている。
つまり、欲しいものが年々なくなってきていることらしい。

広告を視聴すれば無料で楽しむことができるYouTubeはとてもありがたい存在ではあるけれど、スキップばかりして消費生活に直結しない私なんかは、申し訳ない存在である。

「老後のことばかり考えすぎ」症候群

まだ、実母が亡くなって2ヶ月程度なので余韻が残っているのだろうか。
「今度は私か・・・」と考えると、最期を迎える時にどの程度、身軽になっているのだろうか?
と想像する。

転倒防止のための安全な住空間、慎ましい生活様式、次世代の負担を最小限にする事前準備・・・など
ちょっと人生への不安要素が原動力になっている事柄ばかり・・・

現在、私は「うつ状態」ではないけれど、うつ的傾向が身体症状(腰痛・嗅覚障害・味覚障害など)として現れていた可能性は高い。

季節の変わり目で毎年、様々な症状を体験することが多いけれど、どれも大事に至らないものばかり。
「もっと、自分の身体と時間を大切にしなさい」と忠告を受けているような感じです。

今は喪中だけれど・・・もっと前を向いて!

今のところ、これといった大病はないわけだし、もっと楽しいことを考えてみたらどうだろうか。
どうしても家人以外の人と接することが少なくなっているため、エネルギーの充電が間に合っていないようだ。

終活よりも、就職活動などに飛び出して行った方が、いろんな人に会えるチャンスは増えるだろう。
未だ、子育てと介護の板挟みになっているような感覚が尾を引いている。

高齢の親族に関する緊急連絡はもう、入ってこない。
子どもに関する連絡事項や行事、学費の請求などもない。

なんと人間(=私)とは、切り替えが難しい存在なのか・・・

今は犬アレルギーによる影響を回避しながら、愛犬とのふれあいだけが楽しい時間となりつつある。
これで良いのだろうか?
このままでは「つまらない人生」になりそうなので、次のステージに向けた何かを探すことにしよう。

それでも
この貴重な充電期間をもっと、もっと、のらりくらり、ぼんやり、だら〜っとしていても良いかも知れない。このボーダー不鮮明な今こそが、最上の薬となり、栄養となり、かけがえのないものになる予感がする。

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