エッセイ:無理をすると、それ以上にリカバリーには時間とエネルギーが必要になってくる

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無理をするとリカバリーに時間がかかるらしい

この世の中で、あまり無理をせずに生きていける人がいるとするならば・・・
それは凄いことだし、とても珍しく貴重な存在なのかも知れません。

もしも楽勝で生活している人がいるならば、その背景に肩代わりしてくれている誰かの存在があるのかも知れない。
多分そう・・・

そんな偉そうなことを考えている自分も、弱さと強さが共存した中途半端な生き方をしていると言えるだろう。

春先は環境の変化もあって、心と身体に温度差が生じやすい。
「なんか、しんどい」。
それでもじっと停滞した環境に身を置くことなんかも、それ以上に負担感は強いので、余分に動きすぎてしまう。

だから短期間に片付けようと濃度の濃い作業を無理くり押し込んで体調を崩しやすい。
そしてリカバリーには、作業時間以上に療養期間が必要になってくることを知っていながらも、ついついやってしまう。

良いことばかり、することなんてできない

マイペースに生きること
無理をしないこと
計画的に実行すること
穏やかな気持ちでことにあたること
健康に良いとされていることを行うこと
弱音を吐かずに頑張ること
自分ごととしてやり抜くこと・・・・

どれもこれも、「良い生き方」の見本みたい。
けれど、このように教科書通りにいかないこともあるし、心身に多少の害を与えてもやってしまうこともある。

まるで中間色の世界を中継しながら、白の世界と黒の世界を行ったり来たりするような感じだろう。
自分の性質を分析してみると、若き頃の情熱や衝動性は激減してしまったけれど、危機を回避するために事前準備をして安定したいという欲求は、年々強くなってきていると感じられる。

度重なる地震で、安全な環境を整備するには・・・

どこまでやっても、災害の多い日本で暮らすには不安感がつきまとう。
今では有感地震が減ってくると、前倒しで防災対策の再検討を行う習慣がついてきてしまった。

私が体験した最大の震度は6弱だったけれど、職場のデスクの物品が落下するような感じだった。
自宅ならば花瓶など、落下した時を想定して、飾りすぎないインテリアを楽しむことにしている。

すると、金属や陶器は最小限となり軽くて、飛んできても重症にならないようなものばかりが残っていく。
大地震が繰り返し発生するたびに、我が家の断捨離は加速化してきているともいえる。

もう、すでに大型の家具は食器棚と冷蔵庫くらいなので、処分すべきものは無くなってきている。
私の両親と、義父母の4人は直接的な被災を体験することなく、旅立っていったけれど、私たち世代では自宅に住めなくなる可能性があると考えている。

なんとか全壊は回避できても地域全体で力を合わせて生活しなければならない期間があると想定して暮らしている。
「あ〜、あの時、やってたら、準備してたら良かったのに・・・」ということを最小限にしたいのです。

今、就活を休止している私は無職なので、良くも悪くも時間がありすぎるのかも知れない。
本当は携帯電話やテレビのない状況を意識的に作らなくてはならないのかも知れない。

なんだか神経症的な行動パターンになりつつあります。

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