エッセイ:苦しむことなく「失って」「諦めて」「輝いて」残るもの

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「失うこと」「失うもの」「諦めるもの」「諦めること」

手指消毒、健康チェック、マスク・フェイスシールドの着用を済ませて入室する。
有料老人ホームへの面会人には感染予防のための制限がある。
本来は週1回の面会ということになっているけれど、私にはそのような制限はなく週に数回会うことが許可されている。

母は会うたびに言語能力や四肢の動きが悪くなってきている。
当然、予測していたことだし自然の流れではあるけれど、「失うこと」に対する切なさと覚悟と、尊さを感じる。

お花を持参することについては、可能な限り生花を持って行きたいけれど、生き物を育てるには小まめな手入れが必要になってくる。今後はアートフラワーなどの造花で我慢してもらう方が適切ではないかと考える。

母は小声で「み・ぎ・が・・・」と話す。
編み物などの細かな作業が大好きだった母の右手が全く動かなくなっている。
本人にとっては、こんな辛いことはないだろう・・・。
あらためて「失うこと」「失うもの」「諦めるもの」「諦めること」・・・を噛み締める。

懐かしい歌を聴こう

喀痰が不良で、微熱が続いている母に会うには、それなりの覚悟が必要になってきた。場合によっては滞在時間制限1時間を大いに超過し、居続けなくてはならないことも予測される。

私は大きめのタブレットを持参して、来室した。
母に大好きだった演歌を聴かせてあげよう。

あまり演歌が得意ではない私は、どんな曲を流してあげたら良いのか迷ってしまったけれど、ホームの居室に保管してあるカセットテープのタイトルを参照して、ストリーミングのアプリを活用して共に聴き入ることにした。

美空ひばりさんの「みだれ髪」をまず最初にかけてみた。
この曲は母がカラオケ教室の発表会で歌っていた曲だ。
早朝から着物の着付けをして会場のホールで花束を受け取っていた姿が思い浮かぶ。

フェイスシールドが真っ白に曇ってきた。
歌詞のひとつひとつ、一行一行が染み渡ってくる。
母の顔が見えなくなってきた。

タブレットには歌詞が表示されている。
パソコンくらいの大きさがある画面からは質の良い音が次から次へと流れてくる。

母が歌っている。
思い出したのだろうか?

こうして歳をとって「失いながら、手に入れていくものがある」と母は教えてくれている。

なんどか橋を渡ろうとしていた母だけれど、ホームの職員の皆さんのおかげで私は貴重な時間を過ごすことができている。このかけがえのない時間に感謝が溢れる。

自宅では引き続き、断捨離を継続している。
これはおそらく・・・
足し算や掛け算に慣れ親しんできた自分に対する戒めか?
これからは引き算・割り算にたけた生き方が必要になってくるということを悟り始めている・・・。

少し早めに歳をとる練習を始めなくてはならない。

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