Essay のんびり気の向くままに:思い出の宝庫、聖域(=アルバム)の断捨離について

hokenC

とても難解な聖域に着手しました。
といっても、そんな大ごとではなく撮り溜めて整理していたアルバムの分量調整を行ったまでのこと・・・です。

目次

亡き人が作成してくれたアルバムは・・・

生まれたての私がいっぱい納められた布製のアルバム台紙を今回、手放すことにしました。見ていると我ながら「丸々と可愛い赤ちゃん!」と自画自賛してしまいます。一枚一枚、四隅に三角シールが貼付され美しく配置された写真でした。これはおそらく、亡き父親の手仕事であったのではないかと思っています。

写真については別の小さなポケットアルバムに収納し、金属のリールがついた本体を断捨離することにしました。60年近く経過した「布・紙」ですが、シミこそあれ美しく保管できたと感じています。写真にはご先祖様(=祖父母)も写っています。若かりし両親は昭和レトロな装いで、礼服みたいなオシャレ感があります。デニムパンツを愛用している私とは違った風格が漂っています。

もしも私に何かあっても・・・

誰にだって突然、怪我や病気、事故、災害・・・などで心身が不自由になる可能性があります。思いがけず突然、この世から去ってしまうようなこともあります。そんな時に最も難解な遺品整理が「アルバム」なのではないでしょうか? 簡単に処分できれば良いのですが、無造作に重ねられた写真を一枚一枚、内容確認するのは多大な時間も、労力も、精神力も必要です。以前から「これは私が元気な時にすべきミッション」と考えていました。なので今回、年末の大掃除的にやってみました。子どもたちのものは後々、各自で選別してもらうこととして私のモノを中心に整理しました。

結婚した時にもらったオルゴール付きのアルバムなど保管するためのスペースを要する重厚なモノを4冊、外枠のみ断捨離しました。やってみてわかることは、トレーニングを重ねた私でさえも写真を捨て去ることは難しいということです。95%以上の写真(=原本)は移流しただけと相成りました。それでも重たいものは軽減し、わずかなスペースで収納できるようになりました。

いつか手放す時のために・・・

今回、思い切って必要なものだけデジタル化(=写真をデータ化するための撮影)を実施しようかと思ったのですが、将来的に好きな写真を一部選び抜いて、コラージュでもしようかと思ったのです。その段階で使用しなかったものを全捨てすれば、私の親族が後々、遺品整理するときに凄く楽だと考えています。可能な限り処分しにくいものを自分自身の責任化において断捨離しておこうと再決意しました。そろそろ「卒アル」を手放す時期が迫っていますが、看護学生時代のものは最も凝縮した体験のかたまりなので、躊躇してしまう可能性が非常に高いと思っています。

思い出の断捨離が一番難しい

人生の花ともいえる時代のものは、思い出しかないのですが手放すことが難しいと痛感しています。複数の子どもたちが乳幼児の頃の写真は、この上もなく疲れているはずなのに、とても美しく見える・・・不思議ですね。美人ではない私でも輝いてみえる写真が残されていました。

それでも前を向いて今ある人生の課題をクリアしていくためには、多少の犠牲や痛みを伴っても、やるべきことはあり、やってのけなくてはならないと決意するのみです。写真整理は夜間、静かな環境でたった一人で4〜5時間かけて実施しました。とても孤独な作業でしたが「これからを生きる勇気」が湧いてきたように思います。

hokenC

娘として、母として、一人の人間としてやるべきこと、乗り越えなくてはならないこと・・・は山積みですが、ひとつひとつ小山を登り、スモールステップで頑張っていきます。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次