Essay のんびり気の向くままに:終活の途中で「60歳近くまで生きてこられたことに感謝です」

現在アラカンの私は、まだ「おばあちゃん」と呼ばれたことがありません。
もしも喃語を話し始めたばかりの孫などがいたら、間違いなく「バーバだよ」と教えるに決まっています。

目下、私の夢は誰が見てもわかるような正真正銘の「おばあちゃん」になることです。
といって、血がつながった孫の誕生やひ孫の存在を望んでいるわけではありません。
願いはひとつ。「おばちゃん」から「おばあちゃん」になる移行期を存分に堪能し、ふと気がついたら「ガチのおばあちゃん」になれているということです。

今は、60歳近くまで生きてこられたことに感謝です。
人生の途中で病気や事故、災害で失命してしまう可能性もあったと思います。
なのにこうして次なる希望を抱くことができる「おばちゃん時代」を謳歌することができているのですから、こんな幸せなことはありません。

先月、遅ればせながら「高齢者心理学」のテキストなどを購入し、アンダーラインを引きながら勉強しました。
以前、臨床心理士になるためのトレーニングを受けていた頃は、科目の中に「高齢者心理学」という領域はなく、発達心理学の中に埋もれてしまったような印象でした。
日本が高齢化のトップランナーになってから随分時間が経過していますが、自分自身の中で十分向き合ってこなかった「歳を重ねること」について、全力で接近できそうな予感がします。
現役の保健師としてお仕事をさせていただいた時分は、子ども大好きな性分を活かしながら「母子保健が専門領域です」という感じで過ごしていました。そんな私がどうして?

今、高齢者の方と過ごすこと、年老いた親と時間を共有することがとても愛おしい時間になっているのです。
なぜだろう?
私自身があと数年で高齢者になるからだろうか?
でもなく、命の重さを実感するからだろうか?

私はおばあちゃんになりたい。
サクセスフルエイジングなんていう言葉に過剰に反応することなく、流れるがままに余生(?)を生きていきたい。
今、お手本になりそうな高齢者の先輩を探しています。
もしかしたら、昭和の時代の思い出が何かヒントになるかも知れないですね。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次