就活は現在、中断していることになっていますがついつい求人情報を検索してしまいます。無職の状況では体がウズウズしてくるのか家の中でできることをフルタイムに近い状態でやってみたくなってしまうのです。本当は「のんびり気の向くまま」自然体で生活したいと思っているのですが・・・
働きたくない? 働けない? それとも・・・
アラカンの私の就活は若い頃の活動とは違って正職員の求人を目指すものではありません。それでもある一定の収入を得るためにはそれなりの拘束時間を覚悟して職場を探さなくてはなりません。老後の資金を得るためにも自分自身やり残してしまっている思いに対しても何か行動をおこしていきたいというのが本音です。
家族的な課題に対しては「代役」がいるのかどうか?
入院中の親族に関しては随時、洗濯物の交換などで対応したり、病状説明を受けたり、足らない物品を持参したりしなければなりません。今回は自分自身の心身のバランス(真夏の疲れや歯科治療、アレルギー発症予防などなど)を調整するために「外注できるものは外注する」という方針で過ごすことにしました。つまり「無理はしない」という方向性です。洗濯物は有料ですが医療機関でしていただくことにして、衛生物品の購入は病院内で有料のものを使ってケアしていただくことにしました。今までは「自分でやる!」という感じだったので今は移行期間のようなものです。
自分で抱え込んで良いものと、いけないもの
無職になってからは「自分が複数の療養者のキーパーソンとして頑張らなくてはならない」と意気込んでいました。医療・福祉関連の専門職とのやりとりも積極的にやってきました。自分は保健師の仕事や心理師のお仕事をさせてもらっていたということはあえてお伝えする機会もなく、一人の家族として対応しています。現職の時とは違う家族としてのプレッシャーや責任、悩み、疲労、焦り・・・などがあるということも実感することができました。立場が違うと感覚も抱え込む度合いも、深さも違いがあるということを学びました。仕事はチームで行いますので心丈夫な一面がありますが、キーパーソンとして抱え込みすぎると良いことはあまりありません。絶対にしてはならないことなのではないかと考えています。
介護うつになる人もおられると思います
入院中の親族とはここ30年ほど同居はしていません。なので日常的な介護は他者に委ねることができているので「介護うつ」になることは回避できています。もしも同じ家屋で生活をしていたら・・・私の方が先にダウンしてしまっていたでしょう。仕事の現場とは違う逃れようのない疲労が蓄積されることになります。こうなれば日中、お仕事をしている方が金銭的な悩みは解消され、精神的にも身体的にもバランスがとりやすくなるという流れになります。
保健師をしていてよかったこと
仕事柄さまざまな医療保健福祉の制度について調べることができる状況でよかったと思います。それでもわからないことが多いので勉強しきれていないことに驚きます。それとフルタイムで通勤したり他機関との調整を行ったりする経験が「専門職の方と会う」緊張感を緩和させてくれます。これはそれぞれの職種の特徴や専門職に対する信頼感が醸成されているからだと思います。どなたからも日々の活動を通して医療職としての誠意と誇りが感じられます。家族にはできないことをしていただき感謝の気持ちでいっぱいです。
車に乗ってまた公園に行こうねっ!
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