早朝からセミたちの大合唱。
玄関先にも大群からこぼれ落ちた1匹が地面にへばりつく。
ウチの小型犬 goma ちゃんはそれをすっかり食用と勘違いし鼻先を接近させたという。
瞬間、エネルギー全開の羽ばたきを目の当たりにし、ビビリ・テンパリながら大ダッシュしたと報告を受けた。まるで私たちが G(=ゴキブリ)を見つけてしまった時に等しい恐怖を彼は朝一番に味わった。
セミは死んでいたのではない、地表から伝わる冷気と霊気を感じながらスタンバイしていただけ。
まるで今の私のように・・・。
一日一回は近隣の求人情報を確認する。登録はしていないので運営サイトからの連絡はない。
以前は何度も何度も「定職についています」と返答しても、登録が削除されなくて困ったことがあった。
看護の求人は常に人手不足のため、様々な情報提供があるようだ。
アラカンの私が今、できそうなことは何なのか具体的な想像がつかない。あまり過酷だと私生活とのバランスを崩しそうだ。また短時間過ぎても収入に結びつかない可能性も高い。
本当に難しい。
もしかしたら「まだ働きたくない」のかも知れない。
私自身には何も大きな変化がなくても、家人や親族には大きなウェーブがやってきているようだ。
「今は皆んなの動向を確認し、隙間の時間と空間を確保してから本格的な就活をしたい」のかも知れない。
7月から始めた小さな玄関アプローチの改修も形が定まってきた。剥き出しの土が随分、減ってしまったな〜という印象。手入れが極力簡単になるように鉢植えできるものはそちらに引っ越しをしてもらいました。もう、配管を邪魔する太い根っこはほとんどないのではないでしょうか。
目に見えないものと戦っているような感覚です。今度は何を手放し、何を再生しようか・・・
その事ばかりが気になります。身にまとい防御するモノやコトが年々重たくなってきているのでしょうか?
それが「歳をとる」という事なのかも知れません。きっとそうでしょう。
小さなサザンカが花を咲かせることに消極的になっています。
この植栽の今後、どのようなになるのが理想的なのか考え込んでしまいます。生きているうちにお引越しするのか、存在そのものを断念すべきなのか・・・迷ってしまいます。
何もかも全ての存在を生かしきることはできないけれど、自分自身の決断で厳選し僅かに残された道こそが、光をともす存在になりうると信じたい。それは体力・気力のほかに「痛み」を伴う作業なのかも知れない。
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