Essay のんびり気の向くままに:モチノキに感謝「あなたも私も一人生えの木かもしれませんね」

7月3連休の最終日、朝からカンカン照りの太陽が全身をさします。
こんな日はテレビで祇園祭を観て涼しく過ごそうと決め込んでいました。

最近、YouTubeで庭の植栽管理についてはまり込んで、学習を進めています。
すると「一人生えの木」という存在について注意喚起がなされていました。
実は数年前から我が家にも1本、地植えした記憶が全くない苗木が迷い込んで成長を続けています。
ここ数年、様子を見ていたらだんだん立派になり、青々と艶やかな葉脈が全力で広がってきました。
私は仕方なくそのまま水をやり育て続けていたら・・・だんだん大木化してきました。

植栽の管理のプロから言わせると、そのような「一人生えの木」を放置すると後々大きな被害につながるとのことで、リビングで驚嘆してしまいました。私はこの木に自転車の防犯用のチェーンをかけたり、地域で配布されている防犯用の看板を立てかけたりしていました。とても役に立って感謝さえしていたのです。でもよく見てみると直径10センチメートルの年輪を重ね、配管の横にニンジンのような根っこを張り巡らせていました。さらにすぐそばにあるブロック塀の下には潜るような根を伸ばしていたではありませんか。
ゾーッとしました。

今まで、なんだか気の毒な気もしてそのまま放置していたのですが、昼寝をしている家人に協力を求め、思い切って伐採することにしました。
私の家には電動ノコギリがありません。ギコギコと小さなカッター用のノコギリと糸鋸(イトノコ)を使って何回に分けカットし、小さくまとめていきました。

家人が指から出血するという場面もあり、熱中症ギリギリのラインで作業を進めました。
結局、根っこの部分は引き抜くことは不可能なくらい深く・太く成長し、時間をかけ土に帰るのを待つことにしました。

この木は剪定せず放置すると二階の屋根の高さをとうに超える大木に成長していたと思います。ここ1年は思い切った自己流の伐採を何度も繰り返し2メートル半くらいにキープしていたのですが、もう限界かと判断しました。わずかに残された植栽エリアの幅はせいぜい30センチメートルくらいしかありません。この下にはおそらく生活用排水のための配管が複数設置されていると考えられます。

生き物の生命力に対しては感動し敬意を表することでもありますが、この頃自然の脅威を感じることのほうが増えてきたように感じます。今、「水」と「土」のエネルギーが怖くなっています。
日本は今、特別警報がどこの地域で発令されてもおかしくない状況になってまるで戦場のようになっています。

我が家では汗だくの祭り(=ハレの日)となりました。
祭りには人間の深層を回転・かくはんし引っくり返す所作が含まれます。
土まみれ、水まみれ、泥まみれ、汗まみれの通過点が誰でも、どこかで必要な時があるように思います。

私にもそういう時が訪れたのかもしれません。
植栽の名はおそらく・・・モチノキだと思います。
「あなたも私も一人生えの木かもしれませんね」
もっと生きやすい場所があると良いのですが・・・


今まで色々お世話になりありがとうございました。
その一言だけは伝えておきたい。

どうもありがとう
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