Essay のんびり気の向くままに:祇園祭の思い出「単位取得が危ない」

hokenC

昨年は3年ぶりに祇園祭が開催されました。
今年も京都では鉾をたてたりして準備が進んでいます。
私(hokenC)は約1年前に「祇園祭山鉾巡行 前祭」を自宅のテレビで視聴していました。お囃子は心地良い音色となってリビングに鳴り響き、パソコンのキーボードまでもなんだか懐かしい音色になっていたようです。

私が初めて山鉾を目にしたのは、18歳の看護学生の時でした。
当時は授業内容が「祇園祭出席」に置き換えられ、担任の先生とクラスメート全員で四条河原町にくり出しました。本当に粋な計らいでした。沿道には無数の人々、私も同志たちも人混みに呑み込まれそうになりながら、何か大きな決意をしたんだと思います。
鉾の辻回しは、何度も何度も調整をしながら少しずつ方向転換していきました。こんなに科学が進歩した今でも一人ではどうにもならない祭りのクライマックス。
多くの人が力を合わせる姿には、今も昔もありません。

お囃子が modoribayashi になりました。
昨年はまだコロナ禍で「疫病は退散するのだろうか・・・」そう感じながら過ごしていました。テレビに映る群衆はアーケードの下でマスクをして何かを見守っているようでした。放送ブースには時々ちまきが届けられ、そこには「蘇民将来之子孫也(そみんしょうらいのしそんなり)」と書かれていました。次世代のために込められた思いを感じました。

宵山には少し苦い思い出があります。それは保健師学生の時、定期テスト前日だというのに私は長刀鉾を観に行ってしまいました。夜の京都でこんなに情緒がある時間を過ごしたのはこれが最初で最後なのか?
私は子どもたちから手渡されたちまきを手にしながら帰宅しました。不覚にも人酔いしてしまった私はそのまま眠りについてしまい、テストの結果はさんざんなものでした。危うく単位を落としてしまうところでした。

hokenC

アラカンの私はとっくに人生の折り返し地点を通過してしまっています。私の中でも modoribayashi が鳴り響いているようです。

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