敷畳の上でシニシズムについて語る:凸デコと凹ボコの組み合わせなのだから・・・
これは座臥具(ざがぐ)。
稲のわらや藺草(いぐさ)で作った茣蓙(ござ)が段々と厚みを増し、日本文化を牽引してきた。
京間、三六間(さぶろくま)、五八間(ごはちま)の三種からどれを選ぼう・・・う〜ん迷う。
gomagoma の家には必ず和室に敷畳を発注し、敷き詰めます。
そして、いつでもゴロ寝ができるようにするのです。
アナタとワタシが住む世界にはシニシズムが存在している。
いつも過ごす生活には社会の風潮や規範が大部分占領している。
だから距離をとりながら冷笑的な態度をとらないとやってられない。
「こんな世界は変えられない」とか、「いや〜、このままじゃね」とか・・・
本当は人間らしい生活を構築するために何かしたいだけなのに。
ついつい皮肉な言動に走ってしまう。若気の至りとでも申しましょうか。
気を鎮めよう。
これからは物事をニヒルな様相で見下すのではなく、何かに献身的な情熱を注いでみたい。
その先に何か突破できる入り口が用意されていそうな気もする。
あくまでも「気がする」段階ですけど、敷畳で正座しながら思案する。
gomagoma の小さな家には、座臥具として畳を敷き詰めます。
草の香り、小さな直線だった凹凸の心地よさ。
アナタとワタシも凸デコと凹ボコの組み合わせなのだから・・・気にしない。
一人一人、ひとつひとつ、一匹一匹・・・このままで良いのではないでしょうか。
言葉の解説
敷畳は座臥具の一種で、稲のわらや藺草(いぐさ)などによる「ござ」の類から次第に厚みを増してきたもののことをいいます。畳の大きさには大別して京間、三六間、五八間の3種類があります。
シニシズムとは、なにごとに対しても斜に構えて、世間の生活を嘲笑したり、罵倒するかのような態度を示すことをいいます。 社会的な通念からは距離を取って、根拠のない考えなどには惑わされないという側面もあります。
漆黒の時代はシンクロする黒ネコにすぎない
【 浅葱色のアナタ、勿忘草のワタシ 〜gomagomaの色立体から〜 】
黒猫はどれくらいの確率で誕生するのだろうか?
この頃、地域猫ちゃんの中に漆黒のネコ一族がほとんどいないような気がする。
何処いったの?
こんな時代だからこそ。
漆黒の時代に鏡や漆器は美しく輝きます。
限りなく百パーセントに近い黒の世界で、自然の色差しはどれもこれも背景の暗黒のスクリーンと調和するのです。
どんなに暗く視界が悪くても、人や動物、植物、すべての生物が世代から世代へ、生命(イノチ)を伝えることを忘れなければ、それはそれは美しい、自分らしい色を発色させることができるのです。
生物が寿命を全うする時、西の空には何が見えるのでしょうか。
黒ネコが道を横切る時、なぜか gomagoma は「生きることと死ぬこと」を同時に考える。
生と死はシンクロしているのかも知れない。
生きているワタシ、死をむかえるワタシ、どちらも有彩色を持った自分自身です。
思い通りにネコが通過しないこともある。
おめでたい時に黒ネコのノアールが笑顔で来訪することもある。
地域で暮らす猫たちは、シンクロする黒ネコ一族の仲間です。
彼らは、地域を斜め45度で突っ走ることを業としている存在です。
良いことも悪いことも知っているらしい。
きっと。そうだろう。
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