サテュロスが桟戸(さんど)を開ける時:あの世とこの世の両界がそこにある
サテュロスが山野を駆け抜けやってくる。
山羊のフリをして角を立て、耳を澄まし、脚を蹴り上げ山頂から下降してやってくる。
長い尻尾はロン毛のように風になびき揺れている。
「君は野獣か? 人間か?」
アナタとワタシが酒精に酔い、乾杯を交わす時、複数形のサテュロイがお目見えする。
ギリシャ神話のように酔いつぶれることはちょっと危険、泥酔は許しません。
gomagoma はこれでも酔いつぶれたことがありません。
まだ酒に酔わないための訓練を受けていないので、危険を犯すことはありません。
小さな家には縦横の桟を用いた建具を用意します。
舞良(まいら)戸に、格子戸、障子に襖、板戸も良いかもしれません。
ちょっと和風な桟戸たちが「安全と危険」の微妙な領域にボーダーラインを引いてくれます。
人が理性を失いかける時、あの世とこの世の両界がそこにある。
泥酔したワタシ、素面のアナタ、どちらでもなく扉を自由に開閉できるサテュロス・・・
時にはうんざりするほど客観的な世界、時に混沌とする空想的な世界・・・
どちらもこの世の有り様だけど、安堵できる家には各種多様な桟戸が必要です。
ちょっと設計図を書きなおそうか。
言葉の意味
桟戸(さんど)とは、縦横の桟を用いて構成された建具のことで、広い意味では舞良(まいら)戸や格子戸、障子、ふすま、板戸などが含まれています。
サテュロスはギリシア神話のなかで、酒神バッコス(ディオニュソスの別名)につき従う山野の精として描かれています。 複数形ではサテュロイといいます。 彼は陽気で好色、お酒を飲んで浮かれて騒いだり、ニンフたちと戯れるのが大好きだといいます。 美術の世界では、ヤギの角と耳と脚、馬の尾をもつ半人半獣の姿で表現されることが多いようです。
サイコドラマの海は珊瑚色 〜言葉を失った人魚たちのその後〜
【 浅葱色のアナタ、勿忘草のワタシ 〜gomagomaの色立体から〜 】
地上で自分の声を失った人間は相当数いるのではないだろうか?
日常生活の現実的なドラマの世界では、自分を演じ切ることも難しい。
海の底へ沈んでみる・・・
そこには珊瑚が生き続けている場所もある。
死した珊瑚の色とは全く違うコーラルピンクの群生は、地上よりも高濃度の泡を出し続けることができる。
久しぶりに酸素をたっぷりと吸ったような感覚。
生き返る。
もし gomagoma が人魚になったら、言葉に頼らなくても安心できる世界で過ごしてみたい。
ここは海底。気にするものは何もない。
珊瑚色の世界だ。
海底なのに暖かく、お天道さまが射したように明るい。
しばし休憩。
サイコドラマが始まった。
舞台は地上らしい。
言葉が出てこない。
役をいただく。
この人なら「こう言うだろう」と想像する。想像できなくても想像する。
すると自分のことではないかもしれないけれど、今まで発することができなかった word がたたみかけ押し寄せる。
この力に助けてもらいながら、gomagoma も舞台に立ってみる。
言葉と引き換えに地上に舞い上がった人魚たち。
言葉を取り戻すために海底に沈んだワタシたち・・・逆転しているようで実は同じ何かを求めているのか。
「これからも大事な人と、大事な時間を過ごしていきたい、それだけなのに・・・」
難しい。でも挑戦は続ける。
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