リストの緑廊:枝を伸ばしても良いからね、どんどん延伸させ遠くを目指しても良いからね
緑の廊下を歩く時、生まれたての山鳩が金柑の実を頬ばり種を残して飛び立つ。
小さな家の小窓からは、そんな自然な営みが見てとれる。
パーゴラにはツルを絡ませ、藤紫の小花が無数に両手を広げる。
アナタとワタシは濡れ縁で腰かけ、ぼんやり、ぼんやりと、生まれたての太陽を浴びる。
緑廊(りょくろう)は、ミナさんとともに家の完成を喜ぶためにしつらえることにしよう。
葡萄酒が飲める人はグラスで乾杯を。飲めない人はジュースで乾杯を。
書院造りの和室から、ピアノの旋律が流れくる。
これは電子ピアノ? アップライトピアノ? グランドピアノ?
誰かがリストを演奏してくれている。
このヒトは来客者か、ワタシ自身か・・・
もうそろそろ、アナタ以外のダレかと祝杯をともにする時が来たようだ。
孤独からの脱出に、gomagoma の小さな家は無感地震を察知しふるえる。
「大丈夫だろうか?」
緑の廊下は僅かな空間を生かした植物の棲家としよう。
「どんどん枝を伸ばしても良いからね」
「どんどん手足を延伸させ、遠くを目指しても良いからね」
もしも、それぞれの行き先に「引退」という言葉が待っていたとしても大丈夫だから・・・
gomagoma はできかけのパーゴラに見切り発車の椅子を設置し、「よっしゃ!」と励ます。
言葉の解説
緑廊(りょくろう)とはパーゴラのことで、元々はイタリアの葡萄棚から出た言葉です。これはツル性の植物を絡ませた棚で、人が寄り集まるための空間装置として使われています。
リストはハンガリーの作曲家・ピアノ奏者で、19世紀を代表する有名な音楽家です。母はオーストリア人で、K.チェルニーや A.サリエリに師事し、1824年にパリでデビューしました。ピアニストとしては最高の技巧によってヨーロッパ楽壇に君臨した経歴を持っています。
1847年には演奏界から引退して作曲活動と後進の育成にあたったといいます。また1860年以後は黒衣をまとって宗教生活に入ったと記されています。
竜胆色(りんどういろ)の群生たちへ告ぐ「今、リンゲルマン効果に身を委ねているのは誰だ!」
【 浅葱色のアナタ、勿忘草のワタシ 〜gomagomaの色立体から〜 】
竜胆(りんどう)たちへ告ぐ。
「今、手を抜いて生きてはいないか」
少しペールがかった青紫色のアナタとワタシ。
コピーされた野生種の仲間たちと同じ風向きで揺れている。
とても楽だ。両端にもたれかかっても倒れることはない。
同調・・・
竜胆色(りんどういろ)の群生たちへ告ぐ。
「今、リンゲルマン効果に身を委ねているのは誰だ!」
それは恐らく gomagoma を含むすべての人々か。
無意識なるリンゲルマン効果ほど恐ろしいものはない。
「約半分しか生きていない」ということだからだ。
いつも全力で走ってばかりでは「竜の胆(=心臓)」が破裂する。
いつも社会的な手抜きでさらりと通過してばかりでは、すっかり自分を見失ってしまう。
どちらをとっても生きづらい・・・
竜の胆は良薬のごとく苦い経験になることもあるだろう。
「必死になって馬鹿みたい。こんな失敗するとは・・恥ずかしい」ということもある。
アナタとワタシが秋を迎え、そろそろ冬に突入する頃、リンゲルマンは囁くだろう。
「今までとった無責任な態度、行動を改めよ。過去の失敗を悔いることはない。ただ隣人や家族に委ねすぎた案件はなかったか今一度、確認作業をしてみてほしい」
同じ色、同じ形、同じ香り、同じ土地で群生する竜胆は確かに美しい。
でも、一つ一つの花やつぼみ、葉には多種多様な自脈が確認されるはずだ。
ワタシ自身の心拍は、自脈としてカウントするほかない。1、2、3、4、5・・・
時には余裕で100を超え、破裂しそうな自脈。
ある時は少しリンゲルマン効果に便乗し、リラックスして徐脈。
だから常にマックスな時間を過ごさなくても良いだろう。
群生の中の1(イチ)・・・
立ち位置を見失うことだけは避けて通りたい。
今日も心して呟く。
「脱リンゲルマン! ・・脱社会的手抜き!」
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