ラファエロの螺鈿(らでん):失って孤独になること、失って輝くもの、失って着地するところ
小さな家を建てる時、それは父なるもの、母なるものを「永遠に・・・」と考えること。
gomagoma は段々と独立すべき時期が迫っているということを自覚しています。
ワタシの側にはアナタがいて「もう大丈夫」と分かっているのに不安で、不安で。
「また来ます」と言ってラファエロの螺鈿が手渡された。
キラキラひかる小箱には三人で過ごした思い出が詰まっている。
別れの時が来る。別れの時が来た。
数えきれない貝殻は細かな手法で隙間なく宝石がはめ込まれている。
丁寧に、丁寧に・・・そしてワタシらしい文様が次々と浮かび上がってくる。
ありがとう。
この小箱は近々完成するであろう新築の家に持参します。
そして床間には、掛け軸ではなく優しい絵画を立てかける。
ここに飾らせてくだい。
新しいことを始める、新しいものを創る、新しい人と出会う。
いつも巡るサイクルには輝きを生み出すための研ぎ澄まされた別れがある。
失って孤独になること、失って輝くもの、失って着地するところ
それがワタシだけの居場所。
言葉の解説
螺鈿(らでん)は、夜光貝や蝶貝などの貝殻の真珠質を、漆面の文様の彫穴にはめ込んで、研いで輝きを出す工芸品の技法のことをいいます。
ラファエロの本名は、ラファエロ=サンティオ(Raffaello Sanzio 1483~1520)といい、彼は15~16世紀のイタリア=ルネサンスの頃にローマで活躍した画家であり、建築家です。『聖母子像』や壁画『アテネの学堂』などが有名です。父親はウルビーノをおさめていたモンテフェルトロ家に仕える画家兼詩人でしたが、ラファエロが11歳の時に亡くなっています。その母も8歳の時に亡くしており、孤児になったラファエロは若くしてペルージャの画家ペルジーノの工房に入り徒弟となりました。
ライフサイクルの年輪が重なる、重なる「今は蘭茶のベッドできょうだいと遊んでいます」
【 浅葱色のアナタ、勿忘草のワタシ 〜gomagomaの色立体から〜 】
蘭茶のベッドで今、生まれました。きょうだいも一緒です。
お父さんとお母さんはお出かけ中です。ここにはいません。
同時期、同時代、同郷の君たちが gomagoma の仲間です。
でも今は「四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃひゃくねず)」で、微妙に色彩を操作しながら生活を楽しんでいます。
だから一緒にしないでいただきたいのです。
アナタとワタシは自分の色を探している最中です。
決して、他人の真似をして着色してはいけません。
ワタシはワタシ、アナタはアナタの素材を最大限に活かしながらフルペイントしなければならないのです。
蘭茶は渋めの色だけど、青年期? 壮年期? 老年期? どの辺りの色だろう。
本当は山吹色くらいで手を打ちたいけれど、これに無理くり茶色が侵入してくる。
木蘭染(もくらんぞめ)の茶色は、山が吹く樹木たちの骨やすみに近い色だ。
秋は去り、初冬から晩冬へ・・・
ライフサイクルの年輪を重ね、重ね、茶色が似合う自分になっていく。
かすかに残る黄色はジリジリと成熟し、いつか骨化するための予行演習の色・・・
これは樹液か。溜まってきたら排出したほうがいいだろう。
アナタとワタシのライフサイクルは、今がクライマックスです。
おそらく来年も10年後も20年後も・・・
「そうありたい」
蘭茶のベッドは小さな巣箱でいいのです。
いますぐ「ここが gomagoma の居場所です」と宣言したい。
蘭茶のベッドは柔軟剤が混入した木の葉です。
ここにはお父さんとお母さんはいませんが、アナタとワタシがいます。
そろそろ巣立ちの時です。
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