熨斗目色(のしめいろ)
熨斗目色(のしめいろ)は、織物の小袖のひとつである熨斗目に用いられたやや灰みの濃い鈍い青色のことをいいます。この色はもともと地染めが藍染だったので、藍色の系統に分類されていました。また江戸時代には士分以上の者の礼服として、縞や格子を織り出したものを熨斗目模様と呼んでいた経緯があります。
インディゴに近いこの色は、とてもシックで落ち着きを感じます。なので熨斗目色は現代を生きる日本人なら誰でも似合いそうな色だと感じます。
ノーマライゼーション
ノーマライゼーションとは、心身に障害をもつあらゆる人が出来る限り普通の生活を営めるようにすることをいいます。スウェーデンのベンクト・ニィリエ(Nirje,Bengt)は、「ノーマライゼーションとは、生活環境や地域生活が可能な限り通常のものと近いか、または全く同じになるように生活様式や日常生活の状態を、すべての知的障害や他の障害をもっている人々に適した形で正しく適用すること」と定義をしています。人権に関わる横文字の言葉には、他にもいろんなものがあります。例えば「インクルージョン」とか「ダイバシティ」・・などがありますね。
ノーマライゼーション「熨斗目色の着物を着て川べりを歩こうか・・・」
【 浅葱色のアナタ、勿忘草のワタシ 〜gomagomaの色立体から〜 】
熨斗目色の着物を着て川べりを歩こうか・・・胸と背中に家紋をつけて。
ワタシたちのルーツはどこにあるのだろうか?
武士だったのか、農民だったのか、貴族だったのか・・・どうでも良いことかもしれないけど、ちょっと気になる。
本当は潔く生きていきたいけれど、ついつい立ち止まってしまう。そう臆病になるのです。
「もしかしたら普通の生活なんておくれないのかもしれない」と。一体、普通って何?
gomagoma はどこかに病を隠し持っているのかもしれない。心身のどこかに・・・
自分に言い聞かせる。
ノーマライゼーション、インクルージョン、ダイバシティ、バリアフリー・・・
呪文のように通過する言葉は、どれだけの説得力をもって刺さってきたのだろうか。
ちょっと真面目に考えてみる。
人はすべての器官が揃って産まれ出ることを当たり前と思っているけれど、それは偶然、奇跡的な幸運が舞い降りてきただけのことかも知れない。きっとそうだ。
心身に障害がないと納得して生きること、それが出来る環境にあること、そして「ワタシたちには全く障害がない」と言い切ること・・・そんな・・・なんて傲慢なことだろう。
人はいつでも病む、老化する、障害と共に生き続ける、そしていずれ死に至る・・・特別なことではない。
アナタもワタシも100%の健康を目指す必要はない。少し病んでいてもよいではないか!
だからいつでも gomagoma は「ノーマライゼーション、インクルージョン、ダイバシティ、バリアフリー・・・ノーマライゼ・・」と唱え続ける。
そんな世界が、環境が、生活が今、とても愛おしい。
一緒に、熨斗目色の着物を着て川べりを歩こうか・・・
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