ムジークドラマは無目の世界:畑で作物を育てるように、科学と人間が協働して
ムジークな夜。
畑で過ごす時間の延長線上に無目(むめ)の建具が静かに待つ。
gomagoma の小さな家を建てるには限られた時間と、予算内で購入できる部材のチョイスが欠かせない。
この際、鴨居と敷居は同じ木材で造っちゃおう。
そうしよう。
オペラの独唱には旋律重視の「アリア」と、声がアゲアゲな「レチタティーヴォ」があるけれど、もう形式にとらわれず一緒に歌劇を楽しもうではありませんか。
アナタとワタシがいる世界では区別・仕分け・配分・分離といった作業が横行している。
正直いって疲れてしまったな〜
商品を差別化する。ヒトビトの暮らしを分けて考える・・・などなど。
「分ける、分ける。分かち合わず、ひたすら分ける」
ムジークドラマは無目の世界。
少し難しいかもしれないけれど、器楽と歌唱が一緒になって何か良き物ができないか?
畑で作物を育てるように、科学と人間が協働して。
gomagoma には農耕民族のDNA が根強く残存している。
ムジークな朝を迎え早々に、土を手にする。
言葉の解説
無目(むめ)というのは、鴨居(かもい)や敷居と同一の部材で同一の個所に取り付けられ、建具用の溝の彫られていないものをさしています。
ムジークとは、歌唱中心の歌劇に対して、器楽と歌唱を一体化し、高度の劇構成をねらった音楽作品のことをいいます。また、農民・百姓という意味もあります。
ワタシのムーンショット計画「紫式部に会いに行くんです」
【 浅葱色のアナタ、勿忘草のワタシ 〜gomagomaの色立体から〜 】
紫式部に会いに行くために何度も宇治川を渡ります。
会えるはずもないのに宇治橋へと出かけていくのです。
gomagoma も以前、ムラサキシキブという小さなクマツヅラ科の低木を手に入れました。
今となっては、どこに植えて育てようとしていたのか、すっかり忘却してしまいました。
覚えているのは枝だけが残った枯れきった姿だけです。
ムーンショット型の制度に便乗して何かを始めてみたいと思いませんか? アナタ・・・
ワタシも「月に向かって 🟡🟠 」したい時がありました。
今は昔・・・月の光が残存する石山の小部屋で誰を思いながら物語は生まれ出たのでしょう。
挑戦的なことを目標に掲げ、探究心を最大限に膨らませ、迷い悩みながら創り出す世界。
そんな力を月は地表へと降り注ぐ。誰に対しても等しく・・・
なのに送信されたムーンショットを全く受信できないモドカシサ、あります。
時には赤みのある渋い紫色を着て宇治川ラインから石山寺へ。
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