滅紫(けしむらさき)
滅紫には二つの読み方があります。
ひとつ目は「めっし」で、もうひとつは「けしむらさき」です。
どちらの呼び名が好みですか?
この色は灰みのある暗い紫色のことで、赤や紫の存在感はほとんどありません。
これは「黒」ではないのでしょうか。
けしむらさきには3種類のバリエーションがあるそう・・・
深滅紫、中滅紫、浅滅紫、どれも紫草の根によって染色されたもので、低温なら葡萄のように鮮やかな紫に、高温なら灰色がかった暗い紫になるそうです。
この滅紫は90度以上の高温で染められた色・・・
なんか厳しい関門を通過した色のように感じませんか。
ゲシュタルト
ゲシュタルトとはドイツ語で「形・形態・形姿」といった意味があって、心理や芸術の領域では「図」と「地」の関係の「図」にあたるところをさしているそうです。
心理学者のパールズ(Perls,F.S.)は人間を、「心身において恒常的な自己調整機能をもつ全体的存在」と捉えていました。もし人や動物が全体性が妨害されるようなことになれば、とても不安定な状態になります。
心身のバランスは崩れ、何処が「図」で、何処が「地」なのかわからなくなります。
今、流行りの言葉でいうと「ゲシュタルト崩壊」とでもいうのでしょうか・・・
自分のゲシュタルトを死守したい 「中滅紫でお願いします」
【 浅葱色のアナタ、勿忘草のワタシ 〜gomagomaの色立体から〜 】
滅紫を「けしむらさき」と呼ぶとき、喪服の泥染を思い浮かべます。
黒の和装をするときは、一生のうちにそう度々あることではありません。
家紋が入ったものをオーダーメードして所有している人もいるでしょう。
本当のところ、この喪服は黒なのではなく「紫」なのではないでしょうか?
時が刻々と流れ、袖を通さぬ着物はいつしか紫がかって「けしむらさき」となるように感じます。高温で燻された絹の糸は、力強くもあり儚くもあります。
滅紫は平安時代の雅さと儚さを連想させます。
雅な生活が「図(=ゲシュタルト)」だとすれば、儚さは「地」ということになるでしょう。
私たちはこれまで形を成したものにひたすら価値を見出し、安堵感と優越感に埋没してしまっていなかったか。
ふとバックヤードに視点を移すと埋もれかけた「地」の方が気になってくる。
「お元気ですか?」と声をかけたくなってくる。
両者の輪郭が不鮮明になる時、自己のコントロールは不安定になっている。
危険運転をしているといってもよいだろう。
今の時代ならば自動運転でお願いしたいところだけれど、これでは自分の生を放棄したことになる。どちらを選ぼうか・・選べるものでもなさそうだけど、なんとかしたい。
迷いながらも前進していると図と地が反転することもある。
その瞬間に何かヒントが隠されている可能性もある。
gomagoma は「五分五分」でもある。
正直に白状するなら、これからも中温でゆっくりと染めていただきたいものです。
「中滅紫でお願いします」とオーダーする。
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