框(かまち)でカトリシズム:段差のない世界への憧れ
小さな家には框がありません。
建築途上のこの場所には、玄関の上りから廊下につながる段差が全くないのです。
土足で通過してしまいそうなリスクも一応ありますが今のところ大丈夫でしょう。
人が住む世界には目には見えない階級があります。
カトリシズムの普遍的コモンセンスでは框は存在するのだろうか?
無宗教の gomagoma には信仰や礼拝、実践的なカトリックのあり方がわからない。
ステンドグラスから陽がさす扉に重厚な段差はあっただろうか・・・
遠い記憶・・パイプオルガン・・・壁面の小さな窓・・・・天井を支配する骨格・・・・・
もう忘れてしまった。
アナタとワタシの枠組みは段差のない框の構造をしている。
フタリの輪郭である縁には、厚い木材がガッチリはさまっているけれど、両者を分離遮断するものではない。
これなら絶対大丈夫でしょう。
もう少し段差のない世界を追求してみたいと思う。
言葉の解説
框(かまち)とは、建具の四周に枠として設置したもののことをいいます。
カトリシズムとは、ローマ教皇を最高首長と仰ぐローマ‐カトリック教会の宗教的、思想的な立場のことをいいます。また、政治・経済・社会・文化などで、カトリックの立場に基づく活動の総称をさしています。
樺色の森はカクテルパーティ
【 浅葱色のアナタ、勿忘草のワタシ 〜gomagomaの色立体から〜 】
学校で先生が「静かにしなさい!」と大声を出す直前の様子を想像しよう。
チャイムが鳴った。
でも私たちは休み時間の終了を自覚することなく話し続ける。
先生が教室に入ってきていることも全く気づかず話し続ける。
各所でバラバラのことを話し続けて盛りあがっている。
でも自分と直面している友だちの声しか聞こえない。
これぞカクテルパーティ効果だ。
先生がさらに「静かにしなさい!」とリピートする。
でもパーティは止むことはありません。
とっ、突然「今日はテ・・・」と矢を放つ。
不穏な空気が教室の隅々まで浸透し、雑踏の音声はミュートの状態になる。
「今からテストをします」宣言だった。
自分にとって重大な宣言は決して聞き漏らすことがないものです。
動物(犬? 人間?)ってすごいな〜と思います。
実は gomagoma は春の桜の花びらよりも、桜の木の根や樹皮に興味があるのです。
一見、赤茶色に見える樺色はオレンジが混ざっているという自覚に乏しい。
太陽が差し込む場所にいることも忘れてしまいそうだ。
今、森の中にいる。
森は鮮やかな緑ではない。樺色の森である。
上を向くと太陽や新緑の青を知ることもできるのかもしれないけれど・・・
森の中では背丈から下の部分しか見ないし、見えない状態になっている。
自分だけではないらしい。森がざわついてきた。
聞き取りにくいけど、何か有益な情報がないだろうか。
無意識に生きていても、いつか光が差したようなヒントが入ってきてほしい。
そんな日が来るのだろうか。
森には人が多すぎて消耗する。
でも仕方ないので、しばしパーティを楽しむことにする。
毎日。
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