ドグマティークな床の間で、みずから三角座りをして本を読む・・・
gomagoma の小さな家に床の間は必要か?
南向き、東向き・・この方位にスペースを確保する余地は残されいるのか。思案。
左側に書院を設けられたら格式ある家になりそうです。
でもスペースがあまりない。なにせ「小さな家」ですから・・・
昔の武家では、甲冑、刀剣などの武器を安置して尊厳高き場にしつらえたといいます。
アナタとワタシの生活に鋼は必要でしょうか。
いらない感じで過ごしたいものです。
gomagoma には今のところ固定された信条はありません。
誰かを批判することにも全く慣れることができません。
柔軟性だけが取り柄です。
だからお作法を重視する習い事も回避して、のほほんと生きてきました。
それでも実は床の間には憧れがあります。
「本庄、取込み出書院付き」の形式などは、好きなものだらけにしてしまいたい。
ドグマティークな床の間に、さようなら。
書院に漫画を立てかけてはいけない。とか
床板に人気キャラクターのぬいぐるみを置いてはいけない。とか・・・
無視しましょう。
アナタとワタシが楽しく過ごすこと、平和な時間が流れること、古臭い教義で拘束されない場所にしたい。
アンチドグマティークな床の間で、みずから三角座りをして本を読む・・・
これが gomagoma の希望です。
言葉の解説
床の間とは鎌倉時代の僧侶の家から発生したものといわれています。壁には仏画を掛け、前に足付きの板をおいて、燭台、香炉、花瓶の三具足を配置し礼拝を行ったという場所です。
ドグマティークとは、⾃らの対象を現在妥当する実定法に限定することを意味し、法哲学や法史学、⽐較法学から区別された狭義の法律学の用語として使用されています。またドグマとはキリスト教、特にカトリック教会における教条をさしていたり、独断的な説に対する言葉としても理解されています。
トリックスターの通過点「常磐という名に安心するべからず」
【 浅葱色のアナタ、勿忘草のワタシ 〜gomagomaの色立体から〜 】
なんでこんな時に来るかな〜
一見穏やかに過ごしている時に限って、奴はやって来る。
まいったな〜。今じゃなくてもいいんじゃない?
アナタが今回のトリックスター?
ワタシも前回のトリックスター?
常緑樹と落葉樹だったらどっちがお好きですか?
ワタシは思います。
年中どこで誰といても変わらないアナタよりも、地面をパサパサの葉で雲海にしてしまう奴の方がきっと魅力的です。
gomagoma の周辺にも時々、トリックスターがやってきます。
そんな時、思ってもいない遊戯や事件が勃発して本当に疲労困憊してしまうのです。
日常という名の安定と、自然の中の過酷さが交差しミックスされる瞬間、何かが破壊され別の何かが誕生する。
そうして自分が知らなかった自分と嫌々ながらも直面、対峙することになるのです。
天と地が逆転する。時が止まる。身動きできないほどのメガ重機が道路の真ん中を占領する。
今まで構築してきた文化的な gomagoma はどこへ消え失せたのか!
裸体に近い状態で、もがく、もがく。
進むべき路が北西から南東へと変更された。
深緑の森を一気に通過し、落葉した冬の景色を目隠ししたまま通過・・・
南へと突っ走る。
ワタシの方位磁石が思ってもいなかった方角を指す。
これは奴の仕業だな。
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