われはデカダンスの鉄骨構造:波に乗りそこね、風の流れも読めないけれど
自信を持って申し上げます。
柱や梁といった主要なところは、形鋼、鋼管、鋼板をしつらえて造っております。
こう見えても、そんなに重くないはないのです。ワタシ・・・
靱性(じんせい)豊かで、高層ビルの建築には重宝がられています。
一応、gomagoma にも鉄骨構造の建物には興味と関心、憧れがあります。
もしも住居から下界を見下ろすことができたら・・・
それが日常ということなら、かなり華麗な日々が待っていそうな気がします。
「高いところは怖いな〜」という人もいます。
アナタとワタシが住む小さな家は、より地面に近い下界の方が安堵できそうです。
たぶん、これはデカダンス。
つい最近まで gomagoma の心情に「衰退」という文字はなかった。
毎日くりかえし過ごす時間に疑いはなく、あくまでも規範・基本にのっとったルーティーンだった。
ベルレーヌは言うだろう。
「われはデカダンスの終末の帝国」と。
そしてgomagoma も言ってみたい。
「われはデカダンスの鉄骨構造」と。
今までの道徳的な世界に限界はないだろうか。
伝統的な規範にも疑いがわいてきそうな時がある。
「新世紀をむかえた今でも、廃れゆく世界に愛情をもっていたい」
鉄骨構造には何かが欠けている。
でも、それは何かは誰も教えてくれない。
一本の木造的な存在として、揺るぎ、しなり、立ち続けることはできないか?
アナタとワタシは多分、高層的な存在ではない。
ハッキリ言って不器用で退屈、ほんにつまらないけど、衰退する世界にはやや寛容・・・
波に乗りそこね、風の流れも読めないけれど、優しい眼差しだけは持参しておきたい。
言葉の解説
鉄骨構造とは柱、梁などの主要な構造部に、形鋼、鋼管、鋼板などの鋼材を用いて組み立てた構造のことをいいます。利点としては軽量でかつ靭性(じんせい)に富んでいるため、高層建築に用いられています。
デカダンスとは「衰退」を意味するフランス語で、ローマ帝国の末期や江戸化政度の文化的爛熟のはてにあるものをさしています。特に19世紀末のフランス文学の傾向について、世紀末芸術とか象徴主義というように同義に使われてもいます。
最強の鉄色を撃ち放つ「ワタシとテストバッテリーを組んでください」
【 浅葱色のアナタ、勿忘草のワタシ 〜gomagomaの色立体から〜 】
鉄色のバットが託された。ここでホームランを打てば逆転できる。
木製のものと比較すれば、遠くへ飛ばせる可能性は高いかもしれない。
「やってみます!」
このバットは鑪(たたら)で作られた鉄製のものです。
つい最近まで猛赤な場所で打たれ続けてきました。
だから大丈夫。
今、青と緑は酸化して黒ずんでいますけど、大自然の中で生まれ育ちました。
空の青、樹々の緑は gomagoma の味方です。
絶対大丈夫。
でも、たった一人で打席に立つのは不安です。
この満塁ホームランのチャンスを逃してしまうかも・・・
「今、この瞬間ワタシとテストバッテリーを組んでください」
アナタがワタシと一緒に乗り切ってくれるって?
アナタは今まで深海で魚と一緒に過ごしていたんですよね。
gomagoma とは全く違うところに居たということだよね。
だったらOKです。お願いします。
フタリはテストバッテリーの相方同士です。だったら補完しあって最強になれます。
きっと。
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