武家づくりのプラグマティズム:本当に価値あるものは、実践・行動の繰り返し
実態なんてないのかな〜
本当は・・・
武家づくりという様式は、古代の寝殿造りの流れを引き継いでいるらしいです。
鎌倉時代の武士の住まいも、この形を継承していったということで。。。
伝統を守った? なんかアレンジした? 新しい形なのに「そうではない」と主張した?
理論や形式、信念なんて本当は要らなかったのかもしれないね。
実際にどう動いたのか? どう働きかけた結果なのか?
アナタとワタシの関係も微妙な具合になってきます。
実用主義! 実際主義? 行為主義??
どれもこれも目にみえる世界で埋め尽くされて、はっきりいって疲れる・・・
gomagoma がいる場所では、「エビデンス」という言葉が大流行です。
つまり科学的根拠があるかないかで判断し評価される世相の渦中にいます。
だいぶ疲れてきたな〜
何か「これでいいよ」とういう見本があれば楽勝だけど、そんなものはないとワタシはみる。
小さな家の設計図も自力で積算・作成・建築していかなくてはならない。
なかなか手のかかるお仕事だこと・・・
今こそ古めかしい悪しき様式を変貌させ、若き時代の幕開けとしたい。
なのに戦い方がわからない。
おそらく昔の武家社会でもそうであったように。
世の中にプログラムがあると安心。
だけど、本当に価値あるものは、実践・行動の繰り返しで知らぬ間に創造されているものだ。
古めかしい理念・信念に包囲されるな。
同志たちよ、御用心!
言葉の解説
武家づくりとは鎌倉時代の武家に用いられた住宅形式のことで、古代の寝殿造りの流れを引き継いでいます。しかし今では特定の形式としては見られなくなったということです。
プラグマティズムとは、19世紀末に米国で生まれ、現代のアメリカ哲学にも影響を与えている思想のことをいいます。語源は「行為」や「実行」を意味するギリシャ語の「プラグマ」にあるということです。それは行動を人生の中心にすえて、思考・観念・信念が行動を指導すると同時に,逆に行動を通じて改造されるものであるとしています。
藤紫の時代の産物「一度でいいからフローな体験で、イチオシの作品を創ってみたい」
【 浅葱色のアナタ、勿忘草のワタシ 〜gomagomaの色立体から〜 】
「残念ながら今のところ、ゾーンに入る気配はないです」
これからも何かを成し遂げるだけの自信が正直ないです。
だから藤紫のセーターなど着て、越境するのも良いかも知れません。
ワタシの現状、アナタの未来、今後の方向性など特別に見ようとしなくても構わないのです。
時間はスリップしている。身体と心が自動操縦状態で延伸していく。行く先も不明なのに・・・不安や心配が全くない。あるのは今という瞬間の充実感だけだ。
なんとでもなる。なんにでもなれる。そんな途方もない自信・確信が突然、天から降ってくる。
滅多にはないけど、gomagoma にもフローな光が射すことがある。
手先が滑らかだ、突っかかるバリアもない。あるのはスムーズな体感と前頭葉と指先の連合だけである。
これは凄い能率的な動きといってもよい。まるで式部や漱石のように・・・
誰でも生きている間にフロー体験を経験してみたいだろう。
たぶん、それは可能だろうし、すでに何回も経験済みの人もいるかも知れない。
時間を忘れて気がついたら周りは藤紫の静けさ・・・ということもある。
「一度でいいからフローな体験で、イチオシの作品を創ってみたい」と思いませんか?
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